(※2026/2/18のSNS投稿をリライトした記事です)
生家は商売をしていて
商店街の中にあった。
住宅街と違って
毎日ゴミ収集車が来るし、
分別も不要ですべて
持っていってもらえるから
何も考えずに捨てるだけだった。
時代的にもゴミ捨てに対して
そこまでうるさくなかったのもあり、
今から思えば意識が低く
ゴミ捨てが下手だった。
結婚してマンションに住み始めたら
分別が必要になり、
ゴミ捨てできるのは週に2〜3回。
最初は面倒くさくて仕方なかったが、
こういうことを適当にするのは
気持ちが悪いので守っていた。
転勤で転居するたびに
その地域のルールを確認し実践する。
引っ越しを重ねることで
ゴミ捨ては上達して
意識も向けるようになった。
どうやったらゴミは気持ちよく
循環してくれるのだろう?
どのように捨てるのが
美しいのか?
ここ数年は、
ゴミを「出す」という行為に
芸術性や哲学的な意味を感じる。
驚くのは、
そんな自分の変化につれて
ゴミ捨て環境が
どんどんよくなってきたこと。
現在のマンションのゴミ捨て場は
本当に素晴らしい。
乱れも臭いもほとんどなく
いつ見ても美しい。
50〜60世帯くらいある、
地方都市の普通のマンション。
みんなが気持ちよくゴミ出ししている
のが伝わってくる。
こういうところに民度が現れる。
以前は都心のタワマンに住んでいた。
今のマンションより
だいぶグレードも家賃も高かった。
室内の各フロアにゴミ捨て場があり、
便利でスマートだった。
基本的に綺麗ではあったけれど、
たまに分別がされていないことを
注意喚起する張り紙が貼られていたり
自分勝手な捨て方が散見された。
外からは見えないところを
おざなりにする心理が伺える。
「出す」という行為を
意識して考え、実践する。
継続していると、
自分の住む環境のゴミ捨て場まで
より良く変化する。
思い返すと、引越しを重ねるごとに
どんどん素敵なゴミ捨て場のある所へ
移ってきた。
家賃やグレードだけでははかれない、
より良い場。
「捨てるものだから」と適当にするのは、
自分の環境を良化するチャンスを
逃していることになるのかもしれない。