「なぜ勉強しないといけないのか?」に対する回答。

「なぜ勉強しないといけないのか?」

この問いは、多くの人が1度くらいは疑問に思ったことがあるだろう。

「勉強しなさい」と言われた時、つまらない授業を受けている時、漢字1字につき1ページ練習してこい、といったやたらに根性試しな宿題が出された時(笑)、などなど。

学生の頃は、「将来おそらく自分の為になるんだろうな」くらいのゆるい納得感で済ませていた。

大人になってからは、「勉強しておいてよかったな」とか、「もっとちゃんと学んでおけばよかった」と感じることは何度もあった。

しかし、「わたしは○○のために勉強してる」という明確な回答が見つかった訳ではない。
 
 
 
 
先日、ふと、バチっと完璧な回答が頭に浮かんだ。
  
 
 
 
「そっか、人生を楽しくするために勉強するんだ」と。
 
 
 
「人生を面白くするために学ぶ」ということをしているのだ。
 
 
 
年を経るにつれて人生楽しくなっていくなぁ、となんとなく感じていたのだが、それは、いろんなことを知って世界が広がるからかな、と。
 
それは、自分が知りたいことや学ぶ時間とリソースがあって、受験などの外側から与えられた枠があるわけでなく、自主的にどんどん自分を拡張していけるからかな、と。
  
  
テクノロジーのおかげで、学びたいことがあったら、いくらでも簡単に勉強できる。
すぐにググれるし、本もネット注文すれば本日中に届く時代。
自分のやりたい欲さえあれば、いくらでもインプットできる。
アウトプットできる場も無料でたくさんある。
時間的にも金銭的にも、学びやすい世の中になった。
私たちは、学びは遊びの1つだと感じられる時代に生きている。
 
 
 
 
今、小学生に「なぜ勉強するか」と聞かれたら、こう答えようと思う。
 
 
「子供の頃の勉強は、レゴのパーツを集めているようなもの。
パーツが集まらないと、人生というモノを設計できないでしょ。
たくさん基本のパーツがあると、いろんなモノを設計できる可能性が広がる。
ある程度集まったら、好きに創ればいい。
創りたいモノの設計書ができてきたら、いらないパーツは捨ててもいい。
大人になったら、人生を楽しくするためにいろんなモノをつくってね。
あなたらしいモノができると、人生が楽しくなるよ。
それをどんどん設計するために、大人になっても学ぶ必要はあると思う。
でもそれは、あなたの人生を楽しくするモノを創っているのだから、
歳をとればとるほど、加速度的に学ぶことも楽しくなっていくよ。」
 
 
って、こんなことがふっと頭に。

 
どーでもいい備忘録(笑)。

この記事を書いた人

tomoko3

現代のエビデンス社会では認められていない本物の「自然の理」を実践中。
それは、水や光に学ぶことであり、なんにでも応用できる。
室内水光栽培士/結界士